ろぼっとのひとりごと

にんげんって ふしぎじゃん。

音感についてかんがえてみた①

長いこと不思議に感じている音感の脳の処理について。

あたしはいわゆる絶対音感もち。

そもそも音感って何。絶対音感って何。

どんな感じに聞こえてるの。

みたいなものを感じているものを分析する形で書き連ねたりしたい。

おそらく似たテーマで書くと思うので①。

 

ざっくりと音感についての辞書的説明。

外部的にはこんなwikiでどうでしょう。大して読んでませんが。

音感 - Wikipedia

絶対音感 - Wikipedia

 

音感は音の高低を判別する能力で、人間ある程度持っている能力だと思う。

その中でも二つの音の高低差を判別する能力を 相対音感

比較対象がなく一つの音で音階がわかる能力を 絶対音感 という。

正直音の高低差が皆無だったとしたら音楽を楽しむことが出来ない。

精密さはあれど相対音感は人間持ってる思う。

 

言葉1つ絶対音感を能力を定義しても、その能力がどういう状態なのか。は人による部分が多いと思う。

そこで今回は自分の状態の記述を。

 

あたしの場合、だいたい全ての音がドレミに聞こえる。

「ドレミに聞こえる」というのは「日本語のアイウエオがわかる」と同じレベルだ。

「口を大きく開き、舌を下にした状態で声帯を震わせた音」が「ア」に聞こえるのと同じ。

では#や♭の音は。

「ドよりのレ」みたいに聞こえる。

さすがにかっこわるいので今は#や♭だが小学生の時とかはそんな言い方をしていた。

言語で言い換えるとドイツ語のウムラウト音(Ä, Ö, Ü)を「アとエの中間の音」と表現するのとだいたい同じ。

 

この状態はどんな楽器でもだいたい同じように起こる。

バイオリンでもリコーダーでも条件が合えば輪ゴムをはじいた音でもできる。

打楽器はものによる。

ティンパニなどはわかるが、和太鼓などは一打で複雑に音を出す。

なので「和太鼓の音」もしくは「ドンッ」と聞こえる。

耳に神経を集中させれば多少は音階がわかるが、

だいたいは、バチが膜を叩いた瞬間の音、太鼓内を振動する音、反対側の膜が振動する音でいくつもの音がほぼ同時に鳴っている。気がする。

 

さて、音がどの音階かわかる。というならば、絶対音感だろう。

でも音というのはそもそも波であって、その波が一秒間に何回くり返されるか。で基準を決めている。

現代の音楽は a=440~442kHz なので

まぁ、だいたい、一秒間に440×1000回ぐらいくり返されてる波の音をA(ラ)としてる。

でも、人間の長い歴史には違う音の基準だった時期もある。

a=415の時代もあるし、a=466の時代もある。

自分の趣味的にきちんとなじみがあるのがa=415のバロックピッチなのでその話。

 

a=415 だとだいたいa=442から半音ぐらい全体的に低い。

415のラを出すと、442のソ・・・?みたいになる。

つまり自分の絶対音感はa=442基準で、a=415基準のものはない。

 

またa=442の世界でも音の区切り方の違いで、純正律平均律とかがある。

音は#/♭も含めて12音で成立している。

でもオクターブのド~ド間を等間隔で区切ると少々余るらしい。

そのあまり分をなんとかする方法が色々あってその区切り方で名前が付けられている。

そうなると調律の仕方で音には少々高低差がある、はず。

だけども正直そこまで単音の音でわからない。

 

う~ん。

ここまで深めていくと、「絶対音感」にしては精度は微妙なんじゃないか。と思う。

今回は音(単音)をどう認識処理していくか。って言うことを

あと音の定義の仕方って色々なんだよね。って内容を書きました。

 

次回以降この情報を元に、

音が複数になった場合は?(和声の認識)

音色の違いはどう感じる?

歌ってどう感じるわけ?(音+言語の認識)

みたいに膨らませたいです。

 

 

 

演じることについて考えてみた。

自分はやったことはないけれども興味のある分野として役者がある。

 

役者とは演劇や映画などで演じる人物を指す。

単純に行為だけで言えば、

自分に割り振られた台詞を覚え、求められた行動をする。

 

でも実はもっと深いんじゃないか。と思う。

人間は演じることで自分以外の人生を味見をしている。

と思う。

 

役ではどんな人物にもなれる。

例えば、犯罪者になれる。

要は人を殺すこと(事実として殺しはしないが)ができる。

しかも色々な殺し方ができる。

好きで好きすぎて殺してしまったり、衝動的に殺してしまったり、殺しが快楽となった狂人になることもできる。

「自分」を維持しておきながら、社会的に批判される立ち位置の人にもなることができる。

殺人者になりたいか。と言われると社会的リスクが大きいし、非倫理的だし多くの人は鳴りたくないと思う。

でも、どこか怖いものみたさに味わえるのは魅力ではないだろうか。

 

例えば様々な人の人生を借りて、様々な人と恋をし、愛することが出来る。

お仕事と割り切ってしまえばそれまでだけれども、

合法的に倫理的に問題なく様々な人とキスすることができる。

恋や愛だって様々だ。

周りに認められた幸せしかないラブラブなもの。

少年少女の甘酸っぱいもの。

家のしきたりに縛られ敵わない間柄のもの。

今時代なら性別を超えたものだってアリだ。

三角関係や不倫だってできる。

 

演じることの何が魅力的かというと、

やはり「自分」の安全は保証したまま、

社会的にはあまり良くない行動もできるのだ。

「自分」を犠牲にしてするにはリスクの高い行動が可能だ。

 

味わってみて初めて感じるものもあるかもしれない。

もしかしたら、それは甘いあまい蜜の味かも知れない。